中村靖彦の今日思うこと

思いつくままの日記

30・10(さんまる・いちまる)運動って何ですか?

長野県の南に属する駒が根に行って来ました。この地域が本場だというソースかつ丼も面白かったですが、30・10運動というキャンペーンに興味をひかれました。県をあげて取り組んでいる運動です。宴会ではたくさんのお料理が残ってしまいます。もつたいないですよね。という発想です。食べ残しを減らすために、最初の30分間と最後の10分間は自分の席についてお料理を楽しみ、「たべきり」で気持ちの良い宴会にしませんか、と呼びかけています。確かに座敷などでの宴会では、始まったばかりなのに、徳利を持って親しい人の隣りに移動したりする風景が見られますね。料理は残ったままというのでは、余りにももつたいないから、もう少し食べようよというわけです。長野県は、県民が一人一日当たりに出すゴミの量が全国一少ないという統計があります。836クラム、二番目に少ないのは沖縄県だそうです。「食べきり」応援幹事心得なるものもあって、楽しく食品ロスを減らそうとの趣旨が伝わってきて共感を呼びました。30・10運動ーさんまるいちまる運動と呼びます。

広島原爆の日に思う。

今日は広島に原爆が投下された日です。今から30年前、NHkの現役時代に広島で仕事をした経験がありました。その頃のことを思い出しています。毎年のことだそうですが、この日は朝早くから市内の至る所で、人々が外に出て祈りを捧げる風景が見られます。このような姿を見て、私は身が引き締まる思いでした。国連の核禁止条約に日本が賛成しなかった理由は何とも分かりにくい。アメリカの核の傘の下で暮らす私たちですが、もっと素直に気持ちを表現しても良いのではないか、などと考えました。

昨夜は恒例のNHK「想い出のメロディー」。美空ひばりの名曲「一本の鉛筆」に心を動かされました。「一本の鉛筆があれば、あなたへの愛を私はかく。一本の鉛筆があれば、戦争はいやだと私は書く」これから8月15日まで戦争のこと、日本のことなどに特に思いを馳せる季節ですね。

60年ぶりの木曽駒ケ岳。

長野県の駒が根に行って来ました。JRの梓で岡谷まで、その後は在来線で駒が根まで、時間は結構かかりますね。日本は新幹線は次次に便利になりますが、在来線は便利になりません。地元の人たちはそんなに不便を感じている様子もなく、みな電車の中でもスマホを見ているだけでした。さて、木曽駒ケ岳にロープウエイが動いているというので乗って来ました。この山には思い出があります。60年前に、大学生時代に友達二人と登った山なんです。当時はなかったロープウエイて、今は2200メートルくらいまでのぼれます。サンダル履きの女性の方もおられました。

銀座での鬼ヤンマ

銀座を歩いていて鬼ヤンマを見つけました。大きな見事なトンボでした。しかしトンボは飛んでいたのではなく、歩道にペタッと止まっていたのです。このままではやがて踏み潰されてしまうと心配になりました。よほど拾いあげようかと思いましたが、近くに緑も水場もなく、そのままにしてしまいました帰りに同じ所を通りましたが、もう鬼ヤンマはいなくて、死骸もありませんでした。それにしても、銀座のど真ん中まで、あのトンボはどこからどうやつて到達したのでしょうかね。私が子どもの頃、住んでいた仙台市にはたくさんトンボがいました。なかでも鬼ヤンマは王様でした。今日銀座で見た鬼ヤンマは同じような見事さでした。

遅過ぎたけどしないよりはマシです。

来年のコメ作りから生産調整、いわゆる減反が廃止されます。スーパーに並ぶ多彩なコメの袋を見ていると、え!まだ生産調整なんてやつてたの?と思われる方もいるでしよう。そうなんです。やつていたのです。しかも半ば強制的な割り当て制度も残っていました。減反は1970年から始まりました。その頃からコメの消費が減り、生産過剰になる懸念が強くなって、何とかしなければとの危機感から取られた政策だったのです。農家は不満でした。作りたいコメを作らせないのですから皆怒りました。そこで政府は、これは緊急避難です。1~2年も我慢してもらえれば、また元のようにコメを作れるようになりますよ、などと説明していたのです。それが50年近くも続いたのですから驚きですよね。しかし、ついに来年からこの政策は廃止されます。現在の食料法は、コメの作る自由、売る自由を掲げています。漸く本来の法の精神が生きることになるのです。けれどもこの後の農村は大変です。減反政策がなくなり自由になるのですから、どんなコメでもいくらでも作って構いません。だけどただでさえ消費が落ちているのにいくらでもコメを作ったのでは売れ残り、農家は在庫を抱えて四苦八苦することになつてしまいます。いかにして売れるコメを見つけて生産するか、そしてどう販売の戦略を立てるか、農家の意識も変わらなければならないでしょう。私は農村の変貌に期待します。本来なら減反政策などとっくに廃止されてしかるべきでした。しかし長い間国の指導の下でコメを作っていた農家の、急激な変化を好まない心理が強く前時代の遺物のようにこの政策が残っていたのです。廃止は遅過ぎたけれど、しないよりはマシです。いまの私の心境です。

農業問題の情報が減りました。

新聞やテレビで農業問題についての情報が激減しました。業界紙ではなく一般紙のことです。以前このブログでも書いた、種子法の廃止とか新しいパン用の国産小麦が開発されたなどのニュースも一般紙では見ることが出来ません。メディアは自民の反応を大事にします。つまりニュースとして取り上げない、ということは、普通の市民の関心が薄いということを、そのメディアが判断しているということなのでしょう。しかしこうなると、市民と農業の距離がどんどん離れていってしまう。毎日食べているのに農産物のことを何も知らずにいるなんてことが起こり得るのです。私はそのことがとても心配です。けれどもまたこうも考えます。一般の市民は草の根で、農や食への関心を深めている、それを一般のメディアが捉えていないだけではないか。新聞やテレビの若い記者たちは最近の農業問題についての関心とか知識がまるでありませんからね。身の回りに食べ物がいくらでもある時代てすからね。