中村靖彦の今日思うこと

思いつくままの日記

終戦の日と食料自給率

今年も終戦の日を迎えました。この日はいろいろなことを考えます。一番考えるのは食べ物のことです。72年前の強烈で辛い思い出があるからです。当時私は空襲を避けて、父親の実家である長野県に疎開していました。辰野という今ではホタルの里として有名な町です。しかし食べ物はありませんでした。父の実家は農家ではなく教員だったので作物は作っていなかったからです。来る日も来る日も、朝昼晩の食事は、手のひら一つのコメをかぼちゃで増量した大鍋、これを実家の5人と疎開て転がり込んだ4人、合計9人で頂くのです。ホクホクした美味しいカボチャでしたけどね、毎日毎日ではね。だけどね、その頃の食生活の食料自給率を計算したら、おそらく100%ですよ。てすから食料自給率というのは、食の豊かさ、貧しさを示す指標ではないのです。それがいまの日本では、食料自給率の低さがあたかも食生活が貧困であるかのように言われているのが、様々な誤解を招いていることが良くないと思うのです。もちろん食料自給率は低いよりは高い方が良いでしよう。だけど数値目標を設定して向上を目指すというのとはちょっと違うんじやないかと思うのです。日本の食生活の現状を客観的に認識して今後を考えることが必要ではないかと考えます。

食料自給率の呪縛から脱出すべきです

農水省は8月9日、2016年度の食料自給率がカロリーベースで38%であつたと発表しました。ずつと39%が続いていましたが、6年ぶりに前の年を下回りました。しかしこの数字にも一般のメディアの反応は鈍いようです。国民の関心もそれほど高いとは思えません。まわりに食べるものが溢れているのに、食料自給率がどうだといわれても切実感がありませんよね。だから食料自給率の数字は、食生活の実態を表すものではないのです。これでは関心がないのは当たり前です。まず数値目標を掲げるのはやめるべきです。そして全体の何%UPという目標ではなく、個々の品目についての数値目標にしたらいかがでしょうか。この数字はいまもありますが一般的に始終言われることはないので関心を持たれていません。これを具体的に知らせて、目標値にします。何が足りないから全体の自給率が上がらないのだと分かりやすくします。個別にしても数値は上がらないと思いますが、それでも全体の数値目標が達成出来ないことのストレスはないだけましですよ。

30・10(さんまる・いちまる)運動って何ですか?

長野県の南に属する駒が根に行って来ました。この地域が本場だというソースかつ丼も面白かったですが、30・10運動というキャンペーンに興味をひかれました。県をあげて取り組んでいる運動です。宴会ではたくさんのお料理が残ってしまいます。もつたいないですよね。という発想です。食べ残しを減らすために、最初の30分間と最後の10分間は自分の席についてお料理を楽しみ、「たべきり」で気持ちの良い宴会にしませんか、と呼びかけています。確かに座敷などでの宴会では、始まったばかりなのに、徳利を持って親しい人の隣りに移動したりする風景が見られますね。料理は残ったままというのでは、余りにももつたいないから、もう少し食べようよというわけです。長野県は、県民が一人一日当たりに出すゴミの量が全国一少ないという統計があります。836クラム、二番目に少ないのは沖縄県だそうです。「食べきり」応援幹事心得なるものもあって、楽しく食品ロスを減らそうとの趣旨が伝わってきて共感を呼びました。30・10運動ーさんまるいちまる運動と呼びます。

広島原爆の日に思う。

今日は広島に原爆が投下された日です。今から30年前、NHkの現役時代に広島で仕事をした経験がありました。その頃のことを思い出しています。毎年のことだそうですが、この日は朝早くから市内の至る所で、人々が外に出て祈りを捧げる風景が見られます。このような姿を見て、私は身が引き締まる思いでした。国連の核禁止条約に日本が賛成しなかった理由は何とも分かりにくい。アメリカの核の傘の下で暮らす私たちですが、もっと素直に気持ちを表現しても良いのではないか、などと考えました。

昨夜は恒例のNHK「想い出のメロディー」。美空ひばりの名曲「一本の鉛筆」に心を動かされました。「一本の鉛筆があれば、あなたへの愛を私はかく。一本の鉛筆があれば、戦争はいやだと私は書く」これから8月15日まで戦争のこと、日本のことなどに特に思いを馳せる季節ですね。

60年ぶりの木曽駒ケ岳。

長野県の駒が根に行って来ました。JRの梓で岡谷まで、その後は在来線で駒が根まで、時間は結構かかりますね。日本は新幹線は次次に便利になりますが、在来線は便利になりません。地元の人たちはそんなに不便を感じている様子もなく、みな電車の中でもスマホを見ているだけでした。さて、木曽駒ケ岳にロープウエイが動いているというので乗って来ました。この山には思い出があります。60年前に、大学生時代に友達二人と登った山なんです。当時はなかったロープウエイて、今は2200メートルくらいまでのぼれます。サンダル履きの女性の方もおられました。